漢字の歴史

Ⅰ 漢字の発祥

中国最古の文字は「占い」から生まれた
紀元前16世紀~11世紀の殷の時代では、政(まつりごと)は占いによって行われ亀の甲羅や獣の骨に火箸を刺し割れ目の形で吉凶を占った。割れ目が「卜」の形に似ていたので占いを意味する文字となり、割れるときの音が「ボク」の音になった。=「亀甲文字」。
金属器に刻まれた「金文」の発展
殷中期になると、青銅器に記された文字が出現する。「金文(きんぶん)」で、秦の時代に印鑑などに使われる装飾的な字体の「篆書(てんしょ)」が現われるまで多く見られる。この時代は、まだ天下統一されていないこともあり、各地方により字体は異なっていた。
秦の始皇帝による文字の統一と書道の誕生
秦の始皇帝が、紀元前221年位天下統一を果たしたことで、「篆書」に統一された。中央集権化を図る一環として字を統一した。簡単に書けるように改良を加えたのが、漢時代の「隷書」。しかし、後漢末になると、直線的な字体の「楷書」が生まれた。さらに「隷書」を崩して「草書」を作った。草書は楷書よりも500年前に出来上がっている。その後、「楷書」を簡単にした「行書」も作られた。また、美しく書く「書道」が生まれた。

漢字の作られ方の基本6パターン=「六書」
現存する最古の字書:許慎(きょしん)「説文解字(せつもんかいじ)」で説明されている。

(1) 象形文字
モノの形を簡略化したもの。「目」「手」「門」「交」など
(2) 指事文字
数字(一、二、三・・・)や「上」「下」など、指し示す文字
(3) 会意文字
象形文字や指事文字を組み合わせた、「森」「林」「炎」など
(4) 形声文字
「音」を表わす文字と「意味」を表わす文字を組み合わせた。「汗(かん)」「沈(ちん)」「泳(えい)」などが出来あがる。
(5) 転注文字
元々の意味が転じて別の意味を表わす。「好(よい)」→「好(このむ)」
(6) 仮借文字
文字の意味は無視して、音だけを借用したもの。「我」元々、鋭い刃のついた「ほこ」を表わしていたが、「ガ」の音から、一人称を表わす文字となった。

Ⅱ 漢字を発展させた歴史上の人物

漢字の生みの親の伝説
漢字の始まり伝説にあるなかで、有名なのが、蒼頡(そうけつ)。伝説の5帝のひとり・黄帝(道教の祖といわれる)に仕えていた文書担当の役人。鳥や獣の足跡を見て表現した。
漢字の簡略化を図った始皇帝
皇帝に権力を集中し、中央集権体制を強化するためには、文書での統治機構の管理が不可欠になってきた。文字を構成する要素の位置がきちんと決められた。小篆(しょうてん)。

王の証として文字を“変形”させた則天武后
長い中国の歴史の中でも、唯一女帝の則天武后(624~705)。周を開いた。夫、唐第3代皇帝高宗の死後、強大な力を持ち新しい文字まで作った。文字は、王だけが使うことを許されていた神聖で、王朝を開いたことを示した=「則天文字」。死後使われなくなった。17文字とも18文字とも言われている。遣唐使船で日本にも伝わってきた。*水戸光圀

”完璧“な字典を作り上げた康熙帝
清朝第4代皇帝・康熙帝(在位1662~1722)は名君の誉れ高く、在位60年位及んだ皇帝として名が知られている。乾隆帝とともに、清朝が最も栄えた時代で、後に「康熙・乾隆盛世(せいせい)」と称された。漢和辞典の元祖「康熙字典」をまとめた。4万9千字。

Ⅲ 漢字の構造の秘密

部首の七つの基本構造
①偏・②旁(リ:りっとう、頁:おおがい)・③冠・④脚(心:したごころ、、、、、:れんが、日:ひらび)・⑤垂・⑥構・⑦繞(走:そうにょう、えんにょう)
日本生まれの漢字=国字
「国字」は訓読みが基本。漢字を組み合わせたものが多い。「畑」「働く」「榊」「峠」「俤(おもかげ)」「麓(ふもと)」「鴫(しぎ)」「糎(センチメートル)」「栬(もみじ)」「凩(こがらし)」「襷(たすき)」「辷る(すべる)」「鰯」「遖れ(あっぱれ)」主に平安時代につくられた。
かな文字は漢字が変形して生まれた。
省略の方法には2つ、一つは、「伊→イ(カタカナ)」。2つ目は、草書体を崩す。「以→い」  決まりはなかったので、ひらがなはいくつかあった。明治33年に小学校令で規定された。
世界のすべての文字は絵から生まれた。
エジプト文明のヒエログラフ、メソポタミア文明の楔形文字、マヤ文明のマヤ文字など、すべて絵から生まれた。現在も使われているのは漢字だけ。

Ⅳ 良く使う漢字の由来

「人」の形は、二人の人が支え合う姿ではない。
一人の人間が前かがみに立った姿を横から見た形。孤独に生きるというほうが正しい。
「女」は、男性に隷属する形
手を前に組み合わせて跪づいている人間を模った象形文字。男尊女卑の思想に基づき「男を惑わす悪しき者」とする考え。「姦(かしましい)」など、良くない意味のものが多い。
「親」は木の上に立って子を見守るもの…ではない。
「辛」+「木」:「辛」は、「はり」と読み、神事などに使う木を選ぶときに、印として木に打ち込まれた針である。親が亡くなった後、新木で作った位牌に向かう子の姿。むしろ子供のほうが親の位牌を見守っていたことになる。また、「辛」は入れ墨を入れる針を指す。
古代の恐ろしい「父」親像・・・
「父」は、右手に斧、を持って叩いている姿を表わす。「斧の源字」でもある。すっかり権威を失墜した現代の日本のパパは、「父」の字は使えない。
「好」と「母」は女性の姿
  • 「好」は、女と子の組み合わせ。「女」は母親を表わし、子供を優しく抱きかかえている姿。
  • 「母」は「女」の中に「乳房」を表わす2つの点を加えた。乳房の強調で「母」を区別。
「育」は出産シーンを再現した文字
上の字は、子の字を逆さにしたもの。月は、肉づき。逆子でなく、安定した姿で生まれてくる様子を表わしている。「安らかな出産」を願ったもの。
「姿」に描かれた普遍的な女性の美しさ
「次」は、「二」:二人と「欠」:あくび、二人の女性が、並んで一休みし、息を整えているところを表わしている。「姿」が意味するのは、整った、完璧ともいえる女性の美しさ。
「老」「考」「長」はいずれも老人を表わす。
  • 「老」は、髪と人と化の象形文字からできた字。「髪が白く変化した人」
  • 「考」は、「老」の省略形に、音を示す「ヒ」。腰の曲がった老人を指す。「曲がった奥まで考えをめぐらす」ことから来ている。
  • 「長」は、長髪の老人が杖をついている姿。髪やひげには、特別な力が宿るとされ、髪を長く伸ばすことは村落や部族の長老だけに許された特権。「長(おさ)」。
「若」の起源の若者は女
うら若い女性が座って長い髪を左右の手で梳いているなまめかしい姿、または、雨乞いの巫女が髪を振り乱して、神の御告げを述べている姿。「ジャク」の音は「弱」「柔」からきている。「若」は「しなやかな」「やわらかい」ものでもある。
「男」の由来は、田んぼで、力仕事をする人ではない。
  • 田の字に田畑を耕すのに使う「犂(すき)」の字の組み合わせが語源。
  • 甲骨文字の「男」は、「土地を管理する者」の役職を意味。この時代の田畑の仕事は、女性が担当し、男性の仕事は狩猟や集落の防衛。後に男性が管理するようになり、変わった。
「歩」の止と少の字は何を表わすのか?
「止」は左足の足跡、「少」は、右の「、」がない字が元で、右足の足跡。右、左、右と歩いて、左足で止まるイメージが固定して、「止」は「止まる」を意味するようになった。
「右」と「左」に含まれる「口」と「工」の意味するもの
「右」と「左」には、「助ける」意味があった。祭祀主催者の補助役。「口」は右手で食べ物を持って口に運ぶことを表わし、「工」は、「工具」で、右手を手伝うため、左手で釘などを抑えたり、技術で助けたりすることを表わす。「佐」「佑」にも通じる。
「友」とは、手に手を添えて助け合うもの
「又」と2つ並べたものが字源。右手の上に突き出した姿。「手に手を添えて助ける」意味を持つ。「両手を以って相交友する」こと。「手」が切れないのが「友」
「順」とは、川の流れのように頭を下げて従うこと
「川」は水が高いところから流れることから、相手に従う意味。「頁」は、「人が頭を垂れて跪いている」形。「従う」から「素直」となった。「従順」「恭順」「順番」「順序」。
「愛」とは過去を振り返ること
「人間が後ろを振り返る姿を表わす字」と「心の字」と「人の足跡を表わす字から、ゆっくり歩く意」の組み合わせ。「人が胸を詰まらせて後ろにのけ反った姿」になる。慈しみや懐かしさを持って振り返り大切にするのが「愛」。「かなし」「哀(あい)」にも通じる。
「恋」には揺れる心が描かれている。
元字:「糸言糸」と「心」。「言」は、“けじめをつける”の意味。「言葉でけじめをつけようとしても、容易にもつれをほぐせない状態」*「変」も、「糸言糸」と「反」の組み合わせで、「反」は、棒を手にして叩くさまを表し「今までと反する状態にする。」意味。
「嫉妬」は何故どちらも女偏なのか?
「疾」は傷付くことを表わし、転じて病気全般の意味に用いられた。病気になると、人を恨んだりねたんだりしがちになるので「嫉」が生まれた。「妬」は、硬くて中身の詰まった石のように、妬みで心がいっぱいの様子。妬み恨みは女のほうが強いとみなしていた。
「媚」びる女 に男たちは参った。
「眉」を動かして悦んでいる表情を示したもので、そこから寵愛を得ようとして媚びるに転じた。昔の男たちは、女性の眉の動きに魅了された。
「美」のモデルは大きな羊
「羊」+「大」:「大きな羊」が字源。大きく太った羊は、神にささげる重要な動物とされた。そこから、美しい、美味しいなどに用いられるようになった。ふくよかな女性が美女とされ、楊貴妃も豊満な体系をしていた。「善」「義」「祥」「達」「詳」「養」「群」「鮮」「療」「着」「遅」「繕」「羨」。羊は寒さに強く、粗食でで、羊毛、乳、チーズなど、大切な家畜。
「幸」に描かれた「しあわせ」の思えぬ中身
「幸」は刑罰の道具である手枷から生まれた。古代には、刑罰を受ける人が多かった。刑罰を受けずに手枷だけの軽い刑で済んだ幸運を表わす。「執」の「報」も手枷と関係がある。「執」は両手を前に出して手枷をはめられている人の形で、「とらえる」意。
「笑」には、元々草冠が付いていた
「夭」は体をくにゃりとさせた幼児の姿。これに草冠が付くと、幼児のようにくにゃりくにゃりした草の意味。竹に変わったのは、大笑いしている姿が、風に吹かれた揺れ方に。
「武」には平和への願いが込められている
「武」は「ほこ」を「止める(おさめる)」の意。乱暴を抑え、武器を収め、国の強さを維持し、勝利を確定し、人民を安んじ、大衆を和やかにさせ、衣食に不自由にさせない。
「静」という字になぜ争の字が付くのか
「青」は、井戸の中の澄んだ水の色。「清」「晴」など澄み切ったものが多い。「争」は「爪」と「手」を合わせた字で、両側から何かを取り合う様。争いの後の静けさである。
「仁」に込められた、儒教のメッセージ
「人」と「二」からなり、二人の人間が互いに親しみあう意。儒教では「仁」を最も重要な徳目。身近な人間を愛することから始めて、その感情を他にも広げていくのが人の道。
「省」に描かれているのは、目?
「省」は、①「反省」「自省」など「省みる」②「省略」では「はぶく」意。③「帰省」では「もどる」「訪ねる」の意。④「省庁」では役所。の4つに使われている。本来の意は「よく見る」こと。「少」は「小さく、細くする」で「目を細めてよく見る」から転じた。
「買」に表れる、古代のお金事情
「売る:旧字」「買う」共に「買」が入っている。「貸」「貨」「費」なども。これは、かつて買が通貨として使われていたからだ。子安買などタカラガイ科の巻貝で、熱帯地方に生息。「四」は網を描いている。上から網をかぶせて集めるようにものを手に入れること。「売」は「出」+「買」。手に入れたものを出す意味。「貧」はお金が分かれていくこと。
「金」はもともとゴールドではなかった
「今」と「土」と、左右の点。「今」は「金」の音(キン)と同時に、「含」にも使われているように、何かものを含んでいるという意味を持つ。点がキラキラ。この漢字が生まれた当時は土中で輝く岩すべてを指していた。やがて、色によって黄金、白金(銀)、黒金(鉄)、赤金(銅)など区別され、殷や周の時代には、主に青銅を意味していた。
「白」の元になった、白いものとは?
①親指を表わす象形文字:中国では大きいことを「ハク」といい。親指は大きい指なので「ハク」と呼ばれ「白」になった。「伯」「百」
②「ドングリの形」:クヌギの実のドングリが食用にされ、中身が白いので「白」が生まれた。ドングリ状の実がなる「柏」。

「達」と羊の関係
「大」+「羊」。大きな母親から、子羊が生まれる様子。哺乳類の中で最も安産とされる羊は、一度に5匹から7匹の子を産む。そこで、「支障なく通る」を意味する「タツ」の音に「しんにょう」をつけた文字であらわした。「到達」「配達」「上達」「達人」など運ぶ意。
「世」には、親・子・孫の年の差が刻まれている
「十」を3つ組み合わせた会意文字である。「十」は、縦棒の真ん中が膨らんだ(10本まとめた形)。「礼記」にあるように、男子の適齢期は30歳と言われていて、世代の差は30年と考えられていた。「三十」を表わす「世」は、「ひとまとまりの年月」「世代」の意。
「四」から「十」の漢数字は、何故そんな形になったのか?
  • 「四」は二と二に分かれるから、四角い領域を表わす「口」の中に、左右二つに分かれる様子を示した「八」を配した。別の説は、口から吐き出された息が、四方に分散される形
  • 「五」は、①ものが交差する形の上下に横棒、十までの折り返し。②五本指の片手で巻き取っていた糸巻の形。
  • 「六」は、①同音の「陸」から、②小屋化家屋の形から仮借した。
  • 「七」は、縦線を横線で切る。割り切れない端数なので、断片が残る。
  • 「八」は、数の性質から、二から四、八へと別れていく性質を、左右に分かれる形。
  • 「九」は、“ドンづまり”。伸びるべき腕がつかえて曲りこれ以上進めないという形。
  • 「十」は、真ん中が膨らんだ縦棒。そこに、一から九をまとめて新た位に代わるという意。
「本」の字が教える書物の重要性とは
「木」の根元に「一」本の線を引いて字形は、木の根元を強調。「本」は、人間や事象の根本や本質といった、物事の根幹にかかわる大切なこと。「すべての知識の元が書物」。
「初」と衣服づくりの意外な関係
「衣」「刀」。「衣を裁つ初なり」というように、布を拡げて小刀で裁断する作業のこと。経験のない何かを始めたころが「初」。「初期」「初心」「最初」「初恋」「初日の出」。
「己」「巳」「已」の由来の違い
  • 「己」は、糸巻の象形。糸を引き出す始まりというので、「はじめ」「起こり」の意味も。
  • 「おのれ」の意味になったのは「キ」音が「自己」を意味する言葉と同じことから。
  • 「已」は、農具の鍬をかたどった象形文字からの変形。「以」とは兄弟。同じ字が二つに分かれたため「やむ」「すでに」の意となった。
  • 「巳」は、ヘビの象形、胎児の象形の説。訓が「ミ」なのは、古代の日本ではヘビを「ミ」と呼び、それが「ヘミ」→「ヘビ」に。
「畑」は古代の農業事情が良くわかる漢字
「火」を使った「焼畑農法」。草木が灰になり肥し。有機肥料がなかった時代の知恵。
「農」の辰の字の隠された秘密
亀甲文字にある古い文字。「曲」は、林、草を表わす。「辰」は「大ハマグリ」の原字。「大ハマグリ」の殻を磨いて草刈り鎌として使っていた。
「温」と「暖」の微妙な違い
「温」は、「日」が「囚」で、皿の蓋。食べ物を蒸す様子。「温厚」「温情」など、内面的温かさ。「暖」は、「つくり」がゆとりをあらわす。日を浴びて、外から温度を高める様子。
「凜」とした雰囲気は、こんな場所から生まれた
「氷」を表わす「にすい」に、音の「リン」。「リン」はさらに、「米蔵」「穀物」を表わす字の組み合わせ。「賜った穀物を氷で冷やして貯蔵する」意味。「冷え切った米蔵の様子」
「烏」はなぜ鳥の字から線を一本抜かれたか?
全身がまっ黒なので、目がどこにあるかわからないから。
「鯨」の京の字に込められた古代中国人の思いとは?
「京」は「都」の意味を持つ字だが、元は「高い丘の上に建物が立っている様子」。古代中国の貴族は、小高い丘の上に家を建てて住むものが多く「高い」「大きい」から大きい魚。
「犬」と「太」の点が表わす意味は?
  • 「大」は、人が手を拡げて立つ姿。人間を生き物の中でもっとも偉大な存在と考えた。
  • 「太」は、もともと「大」の股の間に、二本の横線が入っていた。「大」を2つ重ねた字。「さらに大きい」意。「犬」は、横から見た姿を描いた象形文字。右上の点は耳のなごり。
「習」から浮かび上がる可愛い鳥の姿とは?
「白」はもともと、「自」だった。音「ジ」は「積」に通じ、「積み重ねる」「繰り返す」の意味。「羽」は、ひな鳥が羽を何度も動かして、飛び方の練習をする。「習う」慣れること。
「川」と「河」はどう違うのか?
「川」の真ん中の線が水の流れ、左右の線が岸。「河」は、曲がりくねる意味の「可」を組み合わせた。「黄河」が中国の歴史に大きくかかわってきたので、特別な意味で使われた。
「島」と「鳥」が似ている理由とは?
波の間に浮かんでいる山を「トウ」と言った。「島」の発音が、「トウ」と「濤」と似ていたことから「山」と「鳥」で作られた。渡り鳥が羽を休める海上に浮かぶ山(=島)。
「風」の中になぜ虫がいるのか?
「凡」(帆船の帆)+「虫」(風が虫を運んでくる)。啓蟄の頃、春一番が吹く。もっと前には「鳳」と書いていた。鳳凰が羽ばたきで、風を巻き起こしていると考えた。
「空」は、穴での暮らしから生まれた。
「穴」と「工」。土を掘って穴をあける意味。空に変わったのは、「穴」が古代人の住居であった。雨を凌ぐ覆いが、中央部を高く、周囲に弓なりに垂れ下がり天空の形としての意味を持った。穴の住居は、中が空っぽなので、「むなしい」という意味にも転じた。
「春夏秋冬」の中で、季節の様子と無関係なのは?
「春」は、草が芽を吹こうとしている形。「秋」も、収穫の象徴である稲穂を意味する「禾」に「火」(日の意味で使われた。)「冬」は、糸の端を縛る意の上部と「ニスイ」の組み合わせ。糸の端は一年の終わり。水が凍る「ニスイ」。「夏」だけは、お面をかぶって踊る様子を描いた文字。音「カ」から引用した。また、「夏(か)」は伝説の古代王朝であり、「おおきい」という意味を持つ。偉大な民族、中華という言葉に用いられるようになった。
「花」には、成長の様子が描かれている
植物を表わす草冠の下に「化」。種子から芽へ、葉を出し、花をつける。「化」は、左側は、人が立っている姿、右側は人が座った形。立ったり座ったり変化するからつくられた。
「櫻」の中で遊んでいる女の子の可愛い姿。
女の子が、買の首飾りをつけている姿。「サクラ」の花が、女の子の首飾りのよう。
「松」には、何故「公」が使われているか?
日本の苗字に使われている植物名の中で、「藤」に次いで多いのが「松」。苗字は土地に由来するので、日本中で松が植えられていたことの証拠。防風林や防潮林、燃料や用材、庭園など多様な用途に利用され全国に繁茂していた。「公」は、参画に囲い込む形「ム」と、左右に開く形の「八」で、「囲い込まずに広く公開すること」の意。細い葉と葉の間がすけているので「公」が用いられた。*「秦の始皇帝」が「泰山」に登って嵐にあった時、松の木の下で風雨を凌いだ功績により、五大夫の位をつけ、めでたい木の一番になった。
「秒」稲の穂先の細やかさから生まれた
古代中国には、これほど微細な単位は必要ではなく、測る技術もなかった。しかし、古代からあった字。「禾」は、稲。「少」は、「細い」の意味を持っている。稲の穂先の「のぎ」と呼ばれる毛を表わす文字。「寸秒」のように「かすか」「わずか」の意味で用いられた。
「東西南北」、方角のそれぞれの意味は?
  • 「東」:元々「ものを入れた筒状の袋の両端をくくったもの」。音だけ借りた字。
  • 「北」:人が背中を向けあう形から生まれて、背中を意味した。日当たりが良い南に向かって座った時、背中が「北」。
  • 「西」:酒を絞るときに使う目の粗い籠の形。
  • 「南」:釣鐘のような形の楽器をかたどって生まれた字で「東」と同じ音を借りた字。
「原」は元々、崖の下に湧き出る水源だった。
「まだれ」と「泉」が字源。「原」が、崖の下から泉が湧いている場所。水源地。それが草原のような緑豊かな場所を表わす文字になり、改めて「源」の字が作られた。
「国」から浮かび上がる太古の都の様子とは?
「國」:「ほこ(槍と刀を合わせたような武器)」と「口」「一」そして、「□」からなる。武器を持った兵士が村を守る形。則天武后は「惑」を嫌い天下の意味の「八方」を入れた。
「民」の字が教える、かわいそうな話とは?
「民」の元となった象形文字は、目に針が刺さっている形で、奴隷の逃亡を防ぐため。「奴隷のように目を見えなくされ、わけが分からずに支配されている人々」
「宰」は、刃物を持ったリーダーだった
「うかんむり(家)」+「辛(針)」:「祭祀で生贄の肉を裁いた料理人」の意味。「神に使える聖職者」「宰相」は「皇帝の家内的使用人」→「国を治める責任者」
「主」とロウソクの関係とは?
「燭台の中でじっと燃えている火」。火の不動性が「あるじ」に近いことから。「柱」「住」「駐」など動かないものが多い。
「私」と「公」に含まれる「ム」とは?
「私(稲を抱え込む=自分の土地)」「公(「ム」:抱え込みを「八」:開放する=おおやけ)。
「君」は、口を使うエライ人だった。
天帝と人間世界の間を取り持つ神職を表わした。神託により人々に号令する宗教的権威者。部族国家では、支配者=神職者であったので、いつしか王や皇帝を指すようになった。
「取」と古代の戦のイタイ関係とは?
「耳」+「又(手でつかむ)」。勝利の印に相手の耳を取った。
「王」と「玉」の点の有無
「王」は、刃の部分が大きく広がった武器。斧を描いた象形文字。葉の広がりが「大きく広がる意味」・「玉」は、大理石の玉を3つひもでつないだ形。
「貴」が価値や身分の高さを表わすワケとは?
古代中国では、子安貝が貨幣として用いられた。「貴族」「貴婦人」「富貴」など、身分の高さを表わす「貴」の字も、「貝」の部分が財貨を表わしていた。上部は「両手でものを大切に持つ様子=高価な財貨。別の説では、音の堆「タイ」が「キ」の転じ、堆く積む。
「商」の字に刻まれた古代・殷王朝の誇りとは?
「殷」は、「周王朝」が付けた蔑称で、「商」が自称。「殷」滅亡後、「宋」の国を建てる許可を得た「旧殷」の人々が、狭い土地に追い込まれたので、農業では食べていけず、中国各地、品物を売り回った「商人」の語源。「商」の字は、高い丘と子宮の2つの意味。
「職」の耳に表れるメモなき時代の仕事術とは?
右の部分が「識」を表わし、耳をつけ「耳で聞いて覚える」意味。古代中国では、教えてもらったことは耳で聞いて覚えなければならなかった。仕事も耳で覚えたので「職」の字。
「教」に描かれた古代スパルタ教育の実態
左は、「交差すること=真似ること」、「子は生徒」。右は、「支」で、「ト」「又」。ムチを手に子を叩いて真似させるのが起源。スパルタ教育の実態。
「校」は生徒たちの不満を形にした漢字
「交」は、人間が足を交差された姿を描いた字。木偏がつくと、罪人の足を締め付ける木製の刑罰の道具「枷」の意味。「コウ」の音も「拘」に通じる。窮屈なところ。
「姓」は男女共通のものなのになぜ女偏なのか?
古代から庶民も「姓」を名乗っていた。「同姓不婚」の習慣があり、姓は大事な意味を持っていた。「生」は、草の生え出る形の字。女偏は、古代中国が母系社会だったため。中国では現在に至るまで、母親の血筋を明らかにするため結婚後も女性は姓を変えない。
「婚」というメデタイ字に「たそがれ」が使われる不思議
「女」+『昏=「暗い」「日暮れ」』。近親婚を避けるため、複数の部族が集まって踊り、食べ、酒を飲む祭。男女は、気に入った相手を物陰に誘った。日本での盆踊りの風習と同じ。
「祭」から見えてくる「まつり」の様子とは?
「肉づき:の月」+「手を表わす、又」+「祭壇を示す、示」で出来ている。神にささげる「肉」を手に持ち、祭壇にささげることを描いた。古代中国の宗教は多神教。自然が信仰の対象だった。「祭祀」の「祭:霊廟でまつること」「祀:巳(ヘビ):自然神をまつる」
「吉」と「凶」は、実は「満腹度」を表わしている。
「吉:食料がたっぷりある。身分のある人物」「凶」の「メ」は「空(から)」の意味。口の中に食べ物がない様子から、飢餓、禍全般を表わすようになった。
「始」は、女性が台で何を始めたのか?
元は、「妃」「巳」を音符とする形声文字。「巳」は農具の「鍬(すき)」の意味。神への祝詞を入れる器の形の「口」を加えた。「台」は、農耕の最初に行う鍬を清める儀式(秋に虫が来る)。「台」の儀式は、出産の時にも行われ、出産の無事を祈ることを「始」に。その後、「始めの女の子=長女」を指すようになり、解釈が転用されて、「始まり」の意味に。
「義」には、羊への「感謝」が込められている。
「正義」「義理」「意義」など、筋道が通っていることに使われる「義」は、「羊」+「我」で、「我」を音符とする形声文字。「我」はのこぎり状の刀。儀礼で生贄にされた羊の解体処理に由来。敬虔で厳かな心、生贄に対する心情、そして正しさから「正義」が生まれた。
「逃」は、何から「にげる」様子を表わしたのか?
「兆」は、占いで、亀の甲羅を焼き、左右にできたひび割れを表わす。神意を示す「兆し」の意味になった。「しんにょう」は走る。ある場所から分かれること。災難から逃れること。本来は「兆しに基づいて、難をさけ、平安を保つ」意味で使われていた。
「酒」に表れる、古代人の”飲酒文化“とは?
「酉」は、酒を入れたツボや瓶の象形文字。本来は、「八:ツボから立ち上る香気」を乗せた「酋」の字が使われていた。古代では、酒は瓶に入れられ、祭祀の時に使われた。その後、神様のおさがりとして宴を催した。これを主宰するのが酋長であった。
「家」は、屋根の下にいる豚のこと
「豚小屋」を表わしている。祭祀の時に神に捧げられた生贄の場所。祭祀は、先祖供養のことで、「家」は先祖の位牌を安置した廟を意味。一族が廟に集まることから転じ、家族が暮らす建物を指すようになった。「嫁」も一族の廟に仲間入りすることから生まれた。
「婦」と「妻」の違いは?
「婦」の右は「箒」。家で最も神聖な祭壇を清める道具。身分の高い女性。王妃を表わす女性だった。「妻」の上の字は「先が三本に分かれた髪を飾る:かんざし」。結婚式での華やかな盛装の際の装飾から、結婚するという動詞で使われ「正妻」を示す名刺に変わった。
「文」は「入れ墨」の文様だった。
人間の胸の中央に書かれた「絵=入れ墨」。出生・成人・死者への通過儀礼を示す字。きらびやかだったことから「きらびやかな文様=文」を表わすようになった。「文章=華やかな世界を文字によって表現」「文化=社会をきらびやかにする」
「名」と夕陽の関係は?
「夕」は儀式の時に神前に捧げる肉の象形。「口」は神事に使う器。名を継げるのは神だけであり、一般生活では「字」を用いた。
「燃」の字に、犬が含まれている理由。
「然」は、「月」+「犬」+「一」。「脂肪のついた犬の肉を調理している様子」を表わす。食犬に由来する字「献」は、「陶器の炊具=土鍋で犬を煮る。」
「黄」は、中国人にとって大事な色
「火矢」が黄色く見えることから色を意味するようになった。中国の五行思想では、「土」の色にあたり、「木火土金水」の中央で、貴い色に扱われる。古代中国伝説の帝王「黄帝」。

参考資料

  • 「漢字の形にはワケがある」 KADOKAWA夢文庫 日本語俱楽部【編】
  • 「謎の漢字」 中公新書 笹原宏之 著
  • 「みんなの漢字教室」 PHP新書 下村昇 著
  • 「続:字源物語」 明治書院 加藤道理 著
  • 「新選:漢和辞典(新版)」 小学館 小林信明 編
Back to Top